北海道歴史探訪

北海道歴史探訪『小樽市攻略ワザ3選』運河と鉄道とウォール街と!

皆さん、こんにちは!「子ども未来教育研究所」みらいTです。

本日の北海道歴史探訪「小樽市攻略ワザ3選」は、運河と鉄道とウォール街をテーマに深掘りしていきます。

まずは、北海道小樽市の位置を確認しておきましょう。

攻略ワザの一つ目は、「小樽運河」です。現在でも、多くの観光客でオーバーツーリズム状態です。その歴史を振り返ってみたいと思います。

つ目は、北海道の鉄道の発祥地である「手宮線」です。

そして三つ目は、「北のウォール街」といわれる地域について調べていきます。

ポイント

1 歴史ある「小樽運河」

2 北海道鉄道発祥地「手宮線」

3 アメリカ・ニューヨークをなぞらえた「北のウォール街」

1 歴史ある「小樽運河」

明治から大正時代にかけて、小樽は北海道有数の商業都市で、石炭や海産物などが本州へと出荷される重要な港でした。

しかし、当時の小樽港には、大型船が直接岸に着けないという問題があり、「はしけ」と呼ばれる小型の運搬船で荷物を運ぶ必要がありました。

この不便さを解決するために計画されたのが小樽運河です。

1914年(大正3年)に着工し、1923年(大正12年)に完成しました。

運河のまわりには石造りの倉庫が立ち並び、荷物の積み下ろしが盛んに行われ、小樽は「北の商都」と呼ばれるほどの賑わいを見せていました。

しかし戦後、物流の中心がトラックや鉄道に変わると、次第に運河は使われなくなりました。

1980年代には埋め立ての計画も持ち上げりましたが、市民からは「歴史ある景観を守ろう」という声があがり、保存運動が展開されました。

その結果、運河の半分を残し、残りを道路にすることで折り合いがつき、現在の姿となりました。

今では小樽運河は、石畳の遊歩道がガス灯、昔の倉庫を使ったお店などが並ぶ人気の観光スポットとなり、昼も夜も多くの人々が訪れています。

小樽運河

2 北海道鉄道発祥地「手宮線」

小樽市内を走る手宮線、1880年(明治13年)に開通した北海道で最初の鉄道線路で、主に石炭を運ぶために作られました。

当時、北海道の空知地方(夕張市、三笠市等)ではたくさんの石炭が採れており、それを小樽の手宮港から船で本州などに送る必要がありました。

そこで、石炭を効率よく運ぶために作られたのが手宮線なのです。

手宮線は、小樽と炭鉱のある三笠市幌内(ほろない)を結び、石炭輸送に大きな役割を果たしました。

また、この路線は人や荷物も運び、小樽の発展にも貢献しました。

しかし、時代が進むにつれて石炭の需要は減り、自動車など他の交通手段が発達したことで、鉄道の重要性が下がりました。

その結果、手宮線は1985年に廃止されました。

現在、旧手宮線の一部は小樽の街中を通る散策路として整備されており、実際の線路の上を歩くことができます。

昨年Netflixで大ヒットした『さよならのつづき』では、主人公の生田斗真と有村架純が裸足で線路の上を歩く様子が話題になりました。

旧手宮駅は、現在は「小樽市総合博物館」として、当時の列車や資料を見ることができます。

旧手宮線跡地

 

小樽市総合博物館

 

3 アメリカ・ニューヨークをなぞらえた「北のウォール街」

小樽市には「北のウォール街」と呼ばれる地域があります。

これは、明治から昭和初期にかけて小樽が経済的にとても栄えていたことから、アメリカ・ニューヨークの金融街「ウォール街」になぞらえて名付けられたものです。

この地域は小樽市の中心部、特に「色内(いろない)」というエリアに位置し、今でも歴史的な建物が多く残っています。

明治時代から大正時代にかけて、小樽は北海道の玄関口として発展し、港町として多くの人や物が集まりました。

その中で、銀行や保険会社、商社などが次々に支店を構え、経済の中心地となったのです。

最も有名なのは、当時「北海道拓殖銀行」や「三井銀行」「安田銀行」などの本店や支店が立ち並んでいたことです。

これらの建物は石造りやレンガ造りで、とても重厚なデザインをしています。

今も「日本銀行旧小樽支店」などの建物が保存されており、「小樽芸術村」として観光スポットになっています。

このようにして小樽は「北のウォール街」と呼ばれるほど、金融と商業が集まる重要な都市になったのです。

しかし、時代が進むにつれ、札幌など他の都市に経済の中心が移り、小樽の金融街としての役割は徐々に小さくなっていきました。

それでも現在では、その歴史的な建物群を活かして観光地として人気を集めています。

重厚な洋風建築を見ながら散策できるこのエリアは、当時の小樽の栄光を今に伝える貴重な場所です。

日本銀行旧小樽支店

4 まとめ

このように、小樽や函館や札幌同様、明治から大正にかけて大きく発展した街です。

特に運河の歴史は、その誕生と衰退そして再生の歩みという、物流都市から観光都市への変遷そのものが小樽の歴史といえます。

今、函館同様オーバーツーリズムという状況を抱えながらも、小樽が未来へ向けてどのように前進していくのか、見守っていきたいと思います。




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