北海道歴史探訪

北海道歴史探訪第四弾・熱き戦い「箱館戦争」激動攻略ワザ!

榎本武揚と開陽丸

皆さん、こんにちは!「子ども未来教育研究所」みらいTです。

北海道歴史探訪第四弾は、箱館戦争にスポットをあて、攻略していきます。

1 戊辰戦争のはじまり

京都から始まった旧幕府軍と新政府軍との戦いは、その多くが新政府軍の勝利となり、旧幕府軍は、北へ北へと進路を向けます。

榎本武揚(えのもとたけあき)を中心として旧幕府軍がめざしたのは、北辺の新天地、蝦夷地の開港場である箱館

ここに明治維新最後の戦い、五稜郭を舞台とする激動が始まるのです。

2 旧幕府軍 鷲ノ木の上陸

軍艦や輸送船など八隻からなる旧幕府艦隊には、約三千名の将兵が乗り込んでいました。

上陸地点は、現在の森町鷲ノ木です。

榎本軍鷲ノ木上陸地

榎本軍鷲ノ木上陸地

現在の鷲ノ木海岸と駒ケ岳

現在の鷲ノ木海岸と駒ケ岳

ここから本隊を二手に分け、箱館五稜郭をめざして進軍開始

内陸部は、旧幕府軍歩兵奉行・大鳥圭介が隊長に、そして海側は、元新選組副長・土方歳三(ひじかたとしぞう)が隊長を務めました。

3 箱館五稜郭を占拠

戊辰戦争で戦火を潜り抜けてきた旧幕府軍と実践経験のほとんどない箱館府の守備隊とでは、大きな力の差がありました。

あっという間に、五稜郭は旧幕府軍のものとなったのです。

当時蝦夷地唯一の藩である松前藩に対して、土方歳三の指揮する陸軍部隊が松前「福山城(現松前城)」を占拠しました。

4 開陽丸、江差沖で沈没

土方軍が箱館から松前に向かうと同時に、旧幕府軍の主力艦「開陽丸」が海からの支援のため松前に向けて出港しました。

しかし、すでに松前藩の抵抗は終わっていたため、松前の北方の江差の港にいかりを下ろしていました。

その日の夕方から天候が急変、吹き荒れる暴風と冬の荒波により、ついに海中の岩に乗り上げ座礁。

当時最強といわれた軍艦「開陽丸」は、数日にして海底に没してしまったのです。

これにより、旧幕府軍の海軍力は大きく低下したばかりではなく、兵士たちの戦意も大きく落ちてしまいました。

江差 海の駅 開陽丸記念館

江差 海の駅 開陽丸記念館

復元された開陽丸

復元された開陽丸

開陽丸 内部

開陽丸 内部

5 新政府軍、乙部上陸

一時は松前藩との戦いに勝利し蝦夷地を平定した旧幕府軍でしたが、新政府軍も着々と反撃をねらっていました。

アメリカから入手した軍艦「甲鉄(こうてつ)」を中心とする明治新政府艦隊によって反撃が開始されました。

新政府軍は、江差の北方、約10kmの乙部の海岸へ続々と上陸を開始しました。

箱館戦争 官軍上陸の地

箱館戦争 官軍上陸の地

この地から新政府軍の反撃が始まった!

この地から新政府軍の反撃が始まった!

その後、新政府軍(官軍)は三つのルートに分かれて箱館をめざしました。

海岸沿いのルートは、軍艦からの艦砲射撃で新政府軍は着実に進撃しました。

一方現在の国道227ルートでは、土方軍が応戦

「二股口の戦い」では、圧倒的に多勢の新政府軍に対して、一昼夜に及ぶ銃撃戦で土方軍が新政府軍を食い止めました。

箱館戦争 二股口の戦い

箱館戦争 二股口の戦い

数年前に国道から山奥に入った場所にある「二股口古戦場」まで歩いていきました。

そこには、土方軍が築いた「稲妻型」の塹壕(ざんごう)の跡が複数残っていました。

しかし、今は残念ながらヒグマとの遭遇の危険があるため、入ることはできませんでした。

土方軍の反撃があったとはいえ、新政府軍の圧倒的な攻撃力で、旧幕府軍全隊が五稜郭へ撤退。

6 箱館戦争終結へ

五稜郭へ撤退した旧幕府軍に対して、新政府軍の総攻撃が始まりました。

唯一残っていた弁天台場に孤立した味方を救うため、土方歳三は一隊を率いて五稜郭から出撃。

その途中「一本木関門」辺りで、馬上で指揮を執っている時に銃弾を受け戦死しました。

土方歳三 最後の地

土方歳三 最後の地

一本木関門

一本木関門

土方歳三の死を契機に、榎本武揚ら旧幕府軍は降伏を決意。

ここ亀田八幡宮にて話し合いがもたれ、ここに箱館・五稜郭をめぐる動乱はすべて終結しました。

亀田八幡宮旧社殿

亀田八幡宮旧社殿

まとめ

この箱館戦争で旧幕府軍は約800名、明治新政府軍は約300名、計1000名を超える多くの尊い犠牲者を出し、半年にわたる箱館・五稜郭をめぐる動乱はすべて終結しました。

徳川家臣団による蝦夷地開拓の夢はここについえ、多くの人々の命と引き換えに近代日本の基礎が造られていったのです。

今、函館・五稜郭は空前の観光ブームで、人であふれています。

土日になると、五稜郭タワーに昇る人たちが大行列を作っています。

私たちが見るこの平和の景観は、新しい時代を夢みながら明治維新の動乱で亡くなった多くの人々の志を決して忘れることなく、これからの時代に引き継いでいかなければならないと思うのは、私だけではないと思っています。


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