皆さん、こんにちは!「子ども未来教育研究所」みらいTです。
北海道歴史探訪第三弾「伊達市攻略ワザ」です。
では、まず北海道伊達市の位置を確認してみましょう。
「伊達」というと日本人の多くが「東北の雄、伊達政宗」を思い出すことでしょう。
この「北海道伊達市」と「伊達政宗」がどう関係するのかが、攻略ワザの一つ目です。
二つ目は、世界遺産「北海道・北東北の縄文遺跡群」北海道六つの遺跡のうちの一つがここ伊達市の「北黄金貝塚」です。
ポイント
1 北海道「伊達市」、東北の雄「伊達政宗」との関係にびっくり!
2 祝・世界遺産登録「北黄金貝塚」のここがすごい!
では、伊達のふたつの歴史にタイムスリップ!
1 北海道「伊達市」、東北の雄「伊達政宗」との関係にびっくり!
伊達市と伊達政宗の関係を知る第一歩は、ここです。
仙台藩初代藩主伊達政宗のいとこである亘理(わたり)伊達家2代当主成実(しげざね)は現在の宮城県亘理町一帯を領地として治めていました。
時は流れ、亘理伊達家は幕末に勃発した戊辰戦争で大きな危機を迎えます。
会津での戦いで、東北諸藩の多くは旧幕府軍(榎本軍)に味方し、新政府軍と戦うことになります。
その結果、戊辰戦争(箱館戦争)に敗れた旧幕府軍に味方した諸藩は、領地の没収など厳しい処分を受けることになりました。
窮地に陥った亘理伊達家は新天地を北海道に求め、今の伊達市に総勢2,700人が移住したといわれています。
このときから、この地域に伊達家がもたらした武家文化や資料(伊達政宗、石田三成、徳川家康関連等)が流入しました。
「伊達市」と「伊達政宗」との間にこんな関係があったとは!?
2 祝・世界遺産登録「北黄金貝塚」のここがすごい!
伊達市南西部に位置する北黄金貝塚はこのあたり!
入口から少し入ると「北黄金貝塚情報センター」が見えてきます。
まずは、ここで貝塚から出土した発掘品や歴史を勉強しておきましょう。
最大の貝塚、実は貝ばかりではなく動物など「すべての生き物の墓」として神聖な場所だったと考えられています。
北黄金貝塚のほぼ中央にある湧き水の傍らに大量の石器が発見されています。
水場に近い低地で発見された竪穴住居。
このように「北黄金貝塚」は、「北海道・北東北の縄文遺跡」の中でも最大級の貝塚が発見され、「祭祀色」の強い遺跡として知られています。
まとめ
伊達市には、こんな合言葉があります。
ポイント
『伊達にふたつの大きな歴史の流れあり』
縄文人がこの地で何を祈りながら、生活をしていたのか?
亘理伊達家は、明治という新しい時代に異国の地でどんな願いをもっていたのか?
そんなことを考えながら、伊達という街を歩いてみるのもいいのではないでしょうか?
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